第一回松本マラソン

 2017年10月1日日曜日、松本平初のフルマラソン大会「第一回松本マラソン」が開催されました。

 

 松本市の気温、最高気温24.4℃、最低気温7.2度、湿度44%。「全国各地と海外から集まった8611人が山並みや田園風景を楽しみながら秋の松本市を駆け抜けた」(2017年10月2日付 信濃毎日新聞 朝刊9版 一面)

 私は、試合前日の土曜午後に現地入りしました。都内から中央道を西に向かい、塩尻北インターチェンジで長野道を下り、アルプス市場で花を買って墓参します。そのあとクルマを停めて、16時ころから5kmほど走ります。大会コースの後半部分、空港近くの道路をトレースしてみました。

 試合の朝、快晴です。知人にスタート地点の松本市総合体育館の近くまで送ってもらいます。現地着は7時ちょっと前。スタートは8時半で1時間以上余裕がありますが、7時半から会場周辺の交通規制が始まりますから、これくらいでちょうどいいのです。

 私の感覚的な描写で恐縮ですが、信州は東京あたりの季節の進み具合と一ヶ月程度のずれがあると思うことがあります。10月1日、松本の朝は初秋を感じさせるひんやりとした空気に包まれています。寒さよけの意味もあり、しばらく体育館の屋根のあるところで待機します。

 7:40にスタートブロックへの整列が始まります。その少し前に荷物預けにトレラン用のリュックサックを預けます。防寒用のウインドブレーカーやオーバーパンツも預け荷物の中です。防寒着を脱ぐとヒヤッとしますが、すぐに慣れました。走り出せばむしろ暑いくらいで、暑さ対策が必要でしょう。塩分を含むタブレットも6粒ほど携行します。(写真はスタート会場の松本市総合体育館)


 7:45ころにスタート位置に整列。Fブロックからのスタートです。ブロックごとの時間差スタートで、FブロックはA、Bと順々にスタートしていって6番目。事前の走り方のシミュレーションで、スタート時のロスを5分程度と見込んでいましたが、公式の記録をみるとグロスとネットの差が8分ほどあります。
 
 午前8時半、定刻のスタート。スタート何分前のコールがあり、ピストルの音。腕につけたGPSランニングウオッチのスタートボタンを押します。上に書いたように自分たちのグループが走り出すまでの時間がもどかしいですが、じっと待つのみ。前のグループの出走に引っ張られるようにして少しずつ前に歩きながら、スタート位置へ。8分ほどしてようやくFグループのスタートです。スタートといっても、短距離走ではないですし、マラソンを2時間台で走るような招待選手でもないですから、ローリングスタートのようなゆっくりしたペースで走り始めます。第一回の大会で、各種運営がどうなるかなと余計な心配をしていました。結果からみるとそれらは杞憂だったようです。市制施行110周年記念の第一回大会を成功させたいという松本市民の強い思いが勝ったというべきか。またこのイベントを共催する長野県の地元紙・信濃毎日新聞社は、市民マラソンでは長野マラソンで19回開催の実績を積んでいます。当大会にもそれらの大会運営ノウハウが活かされていることでしょう。

 じつは私は試合の二週間前に、現地のコースを25kmほど後半部分を試走しています。その際に現地在住のランナーの方と情報交換をして、その方にコースを実走したビデオが公開されていると聞き、何度も、そのYouTubeのビデオを見返しました。どうみても何箇所か、道幅が急激に狭くなって、渋滞になりそうな箇所がありました。また走り方と補給の仕方について、事前に公開されているコース資料を基に自分なりのやり方を文章にまとめました。フルマラソンは 今回で6回目。すでに初心者という甘えも通用しないでしょう。内陸の信州で生まれ育った私は、移住して何十年経っても未だに東京の夏は非常に苦手です。しかしそんなことは言っていられません。夏場の走りこみも今までにないくらい行いました。10月上旬のレースで思い切り走るには7月、8月、9月の暑い時季の走り込みが欠かせないからです。高地トレーニングの余裕(経済的、時間的にも)がなかったので、近所の公園で虫除けスプレーを身体にふりかけながら、蚊に刺されながら、熱中症の一歩手前のギリギリのところで練習をしました。こんなことをして何が楽しいかと思いますが、一定程度までは練習量と結果が比例していくのがランニングの面白さであり、醍醐味でしょう。

 閑話休題。スタートして2kmほどは下り基調。信州大学病院の前の道路を飛ばしすぎないようにペースをチェックしながら走ります。千歳橋で女鳥羽川を渡るとコースは平坦に。

たしか、このあたり(女鳥羽川にかかる千歳橋・・ツタヤ・・カルチャーコンビニエンスクラブではなく、地元の布地・女性衣料店です・・の付近)はフジテレビのドラマ「白線流し」で、主人公<七倉園子(酒井美紀) >がクリスマスの夜に、降りしきる雪のなか、思いを寄せる相手<大河内渉(長瀬智也)>から
「お前なんか遊びだよ!」
とか言われてフラれてしまうシーンのロケがあったあたり・・

・・なんてことは走りながら考える余裕はまったくありません。前後左右のランナーとの間隔はあいかわらず詰まったまま。無理して前に出ても無駄足を使うだけなので、集団のペースに身をゆだねるように進み、深志2丁目交差点を通過します。

 小学校に通うときの通学路、スピードスケートの小平選手をサポートしている病院の上の土手。そして母校の前をコースが通り過ぎていきます。やはりyouTubeの動画で、NHK長野放送局の録画と思いますが、第一回のマラソン大会を迎える地元の人たちの盛り上がりぶりをレース前に視聴しました。私も一市民ランナーではありますが、同じ思いでこの大会を走っています。大会の成功。そのために一ランナーとしてできることは何か。微力ながら、遅いながらも全力でこのコースを駆け抜けることではないか。10,800円と決して安くはない参加費を払い込むときにそう思いました。

 全力で・・いや、正確には特にフル・マラソンの場合、スタートからゴールまでを均一(イーブン)ペースで走るのが一番効率的といわれています。最近はGPSつきのランニングウオッチ(安いものは一万円前後からあります)の活用が一般的になり、簡単に実走のペースをつかむことができます。私の場合はPolarの心拍計に心拍数とキロあたりのペース、スタートからの距離を三段に表示させて走ります。もちろんスタートからの経過時間も気になりますが、主要ポイントごとに時計で表示されていることが多いのでそれを利用します。

 事前に設定したペースはキロあたり6分。仮にスタートで5分ロスしても4時間25分でゴールできます。実際にはトイレタイムやら何やらで最低でもさらに3分程度はロスしますので4時間半を切れるかどうかというところです。

 さて、薄川(すすきがわ)をわたり、6km手前の田川沿いに出る地点は、道幅が急に狭くなり、渋滞するかなと思っていたのですが、案の定、相当スピードダウンこそしましたが、停滞することはなく、歩くようなペースでそろそろと通過します。ランナー同士が衝突したりというような大きなトラブルは幸いなかったようです。スタートから7kmすぎても思いのほか集団はバラけません。選手間の間隔がつまったまま10km付近の寿小学校の前を通過します。沿道の応援は郊外に出ても途切れません。寿小の生徒でしょうか、吹奏楽の演奏で選手を出迎えてくれます。応援に背中を押してもらいながら、私たちランナーはゴールに向かいます。この松本に限ったことではないですが、どこの地のマラソンでも沿道の方々の心のこもった応援は本当にありがたいものです。

(写真はスタート地点の競技場。前夜飲みすぎて眠いです。)

  走るペースをはこまめにチェックしながら、速過ぎれば落とし、遅すぎれば上げ、という感じですが、夏の間、かなりの距離をキロ6分前後のペースで踏んできていますので、キロ6分は違和感なく自然な感じで走れます。予想通りというべきか、かなり暑いです。サンバイザーとサングラスで日差しを除け、給水は必ず摂り、塩のタブレットもいくつかかじりながらコースを南下します。15km手前の折り返し給水でトイレ休憩。トイレも空いている場所を選ばないと、待ちが長引いてロスが大きくなります。この場所は待ちが短いと判断しました。
 
  コースは松本市から塩尻市に入り、えびの子大橋を渡ります。上りで脚を使っても仕方がないのでペースは落とします。国道19号線とJR篠ノ井線を高架でまたぐ橋です。10年くらい前にできたようです。このあたりから直前9月に試走で走ったコースと重なってきます。ようやくここまで来たかという感覚。そしてコースは塩尻市から再び松本市に入り、コースは奈良井川の西岸に渡り、信州まつもと空港周辺の周回コースに入ります。コースは小俣の交差点を南に折れ、中間点を目指します。このあたりは、20年前に一時、松本で仕事をしていたときの通勤ルートでもあります。
(写真はゴール地点の信州スカイパーク陸上競技場)

 22.4kmに設けられた第8給水ポイント からは、第7給水ポイントまで供給されるスポーツドリンクと水にくわえ、バナナ、まんじゅう、塩飴、梅干といった固形物が提供されるようになります。通常はカットされたバナナを受け取るところですが、なぜか丸のままのバナナを受け取ってしまい皮をむいて食べながら走りました。

 参加者案内に公開されているコースの高低図 https://www.matsumoto-marathon.jp/course をみると、コース上の最高点は25km付近にあります。地理・地学的なことをきちんと調べたわけではないのですが、おそらくこのあたりは奈良井川の河岸段丘として形成され、川岸から徐々に土地が隆起していっているように見受けられます。そのようにコースは第8給水ポイントから空港に向かってちょっとした坂をあがります。空港入り口の交差点を過ぎ、空港の外周道路に入ってさらに南下する間も緩く上がっていきます。

 コース全体の高低差を大雑把に表現すると、スタートして女鳥羽川にかかる千歳橋までは下り、そこから郊外の寿、広丘方面に向かって上り基調が続き、20km手前にはえびの子大橋のような人工的な高低差もあります。ちなみにこのコースは日本陸上競技連盟の公認をうけたマラソンのコースです。陸連のホームページをみると「ⅰ 標準距離の道路競走においては、スタートとフィニッシュの2点間の直線の距離は、そのレースの全距離の50%以下とする。」などとあります。(日本陸連・陸上競技ルールブック2018→第8部 道路競走)ほかにも高低差など各種の制約が課されています。公認大会と呼ぶには42.195kmをただ走らせればいいというものでないようです。長野マラソンでははあちこちに折り返し点があり、なぜだろうと思っていましたが、連盟のルールを遵守したコース設定をするための工夫のひとつが、随所に折り返し点を設けることなのです。2018年4月16日に実施された122回大会で川内さんが優勝したボストンマラソンはこの条件を満たしていないことを私はニュースで知りました。公認コースとして認められるには、片方向のコースでないこと、高低差の基準を満たすことなどの条件が定められています。さらにルールに記載されているのかどうか存じませんが、実際のコース設営にあたっては公道を封鎖して実施される場合が多いマラソンの場合、市民生活への影響を最低限にとどめるなどの配慮も必要でしょう。

(写真は、地元のケーブルTV局、テレビ松本の中継車。当日はリアルタイムの中継番組があったようです)

  さて、コースは、終盤、空港、およびアルウイン(総合球技場、サッカーJリーグ松本山雅のホームグラウンド)の周辺をぐるぐると回ってゴールに向かいます。ちなみに長野マラソンのコースも、ゴールの競技場の手前で、松代地区周辺を周回するように千曲川の東岸から西岸に渡り、ぐるっと周りこむようにしてゴールのオリンピックスタジアムに向かっていくコース設定です。北からスタートし南下してゴール付近でぐるっと周る点は松本マラソンと長野マラソンの共通項と感じます。スタートとゴールの間を20km程度におさえた上で42km強のコースを設定しようとしたら、距離を稼ぎのために折り返し点が増えて当然なのかもしれません。

 試合の描写に戻りますと、その終盤25kmのコース上の最高地点への緩いのぼりがかなりこたえます。ペースがキロあたり6分半から7分くらいまで落ちます。(試合後にみた27kmのラップはキロ7分以上までペースが落ちていることを示していました。)21kmすぎの農道を南下するときも感じたのですが、南風が強くなっているのか、向かい風の抵抗を大きく感じます。とはいえ、スタートからコースそのものが南下しているわけです。急に南向きの風が出てきたのか、地形的なものなのか、ずっと風は吹いていたものの、レース終盤で疲れてきて神経質になってそう感じるのかはよくわかりません。そういえば、このあたりから集団がばらけてランナーとランナーの間隔が開いてきます。その影響もあるかもしれません。集団の中にいたら風の影響が少ないという現象は自転車レースだけではなく、マラソンの場合もある程度あるでしょう。
 
 とにかく、向かい風と緩い上り坂の影響か、脚が停まりそうになります。歯をくいしばって・・ではないですが、前に前に意識を持っていかないと本当に止まってしまいます。実際に私の周囲には歩いている選手もちらほら見えます。しかしつらいから、と歩いてしまうと、この先、ゴール地点までずっと歩いてしまうことになりかねません。トップ選手は歩くなんてことはないでしょうが、4時間台の市民ランナーの場合、マラソンを途中歩かずに走り続けるためのスキルとメンタル、そのためのたゆまぬ練習が必要と感じます。歩いてしまうとタイムは遅くなるし、走り終わってからの満足度も下がります。それでも、歩くことへの誘惑は多いです。前年「つくばマラソン」の後半ではいったん「歩きグセ」がついてしまい、再び走りを再開することが困難になってしまった経験があります。

(アルウイン近くの信州ビバレッジの工場。この前の道路もマラソンのコースです。)

 コースは公道から、スカイパークの公園内に一度入ります。公園内のトイレで二回目のトイレ休憩。ここも空いていてロスタイムが少なそうだったからです。気温の上昇にそなえ、すべての給水点で水を取ってきたのでトイレも近くなります。トイレに行こうとコースを離脱すると、運営役員らしい方から「折り返しも過ぎたしあとちょっとだから、がんばって・・」と励ましの言葉をいただきます。その前後、第9給水ポイントにはくし切りされたリンゴがあります。ふた切れほどほおばって先に進みます。手元のGPSはキロ6分前後をさしています。どうやら25km付近の失速から立ち直ったようです。ほんとうにちょっとしたことで失速したり、復活したり。長いレースの間にはいろんなことが起きます。苦しいときでも自分を前向きに持っていけるポジティブなトリガー(引き金)を自分の中にたくさん持っている人がベテランランナーなんだと思います。
 
 さてコースはアルウイン(サッカー場)の脇をすぎ、空港から市内に向かう県道に出ます。32.4kmの二子の折り返しまでは北東方向にコースが進みます。二車線の県道は、進行方向左側の車線が往路、右側の車線に折り返してくる先行ランナーが見えます。空港の周辺は、松本でも西南方向の郊外で、住宅と住宅の間に水田が広がっていたりしており、まさに郊外という趣ですが、それでも沿道の地元の方の応援の列が途切れないことには少々驚きました。

 そして32.4kmの折り返し点付近で、知人が沿道から声をかけてくれました。スタート会場まで送ってくれた人です。沿道の人も多いですし、選手も途切れなく通過していくのに良くわかったなぁと感心します。(写真は知人の撮影してくれたものです)
 

会場の写真には、選手が蛍光色っぽいライトグリーンのTシャツを着用しているのが目立つと思いますが、それは今回の大会の参加賞のTシャツです。参加賞のTシャツ着用を促す一文が参加要綱に書いてあります(注)が、私はほかの人とかぶらないように、あえて別の大会のシャツを着ました。2016年だったかの調布ロードレース(ハーフ)の赤いシャツ・・(TCRR → Tokyo Chofu Road Raceの略)・・と胸に表記があります・・を選びました。同じ年の渡良瀬ハーフも同じく赤いシャツが参加賞でしたが、前後にプリントがあって識別が容易なほうを選びました。

(注)2016年安曇野ハーフではちゃんと?参加賞のシャツを着て走りました。

 
その前後と記憶しますが、4時間半のペースランナー(小幡さん)に追いつきます。補給は、給水の食料のほか、腰につけたベルトの中のジェルを10kmおきに摂ってきていますし、おそらく低血糖状態にはなっていないでしょう。メンタル的にも「あと10km」ということで気持ちが高揚してきます。スタート時に待機した時間を考えれば、グロスで4時間半は上出来でしょう。

  そしてコースは西南工業団地のなかに入ります。ここには地元の有名な菓子店の工場もありますし、私が勤務していた事業所もあります。訪れるのは何年ぶり、何十年ぶりでしょうか。もと勤務先の前も通過するあたりで、ペースランナーの小幡さんが「あと5kmです。ペースをここから上げられる人は、ここからあげていきましょう。」と掛け声をかけてくれます。その掛け声をきっかけに少しばかりペースを上げてキロ当たり5分40秒くらいまで持って行きます。若干ペースの上げ幅が大きすぎたらしく、残りの4kmほどがかなり苦しくなってしまいます。とはいえ、あと3km、もう勢いでいくしかありません。37.7kmと40.8kmの給水所の手前で腰のジェル、おそらく最後の一本を口に押し込みます。飲み終えたジェルの容器は、給水所のゴミ箱に捨てます。ランナーとして最低限のマナーなんでしょうけど、路面には、ごみだけでなくたまに未開封のジェルが落ちていたりもしますね。

 飛ばしすぎの反動、そして長旅の疲れで脚や腰のあちこちが痛み、思ったように動かなくなってきました。フォームは最後まであまり崩さずに持ってこれたようで、脚の筋肉全体を使いきった感覚があります。ゴール地点のスカイパーク陸上競技場では、競技場の外周道路を半周ほど走りますが、その数百メートルが途方もなく長く感じられます。ここまできたら、行くしかありません。後続に抜かれても気にしない。ラストスパートどころではなく、ふらふらになりながらどうにかこうにかゴール地点に飛び込みます。記録(グロス)4時間26分37秒。ネットで4時間18分42秒。どうにか4時間半を切るという目標は達成できたようです。