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2003年裏糸(東京<調布>=白馬<小谷村>)裏糸(4)安曇野から栂池へ


安曇野から栂池へ

 東京から信州は小谷村栂池高原を目指す私たちの自転車の旅も終盤に入る。江戸から甲州、そして信州へと自力で歩みを進めてきた。 午後も遅い時間帯、私たちは、中信の都市、松本の市街を抜け、安曇広域農道、そして国道147号糸魚川街道を大町に向かっている。

 われわれの前に道はない。われわれの後に道はできる、というほど大げさなものではないけれど、この時点ですでに仲間も自分自身も、自らが自転車で一日で走りきれる距離を越えて走っている。限界への挑戦?そんな大それたものはない。しかし、何がしか心ときめくものが自転車の旅にはある。それはスポーツ用自転車に出会った大学生の頃のそれとはまたちがったものかもしれないが、高速交通での移動が一般化した現代社会において、自らの力でスローな旅を続けるスタイルは、年齢を重ねたミドルやシニアの心を、どこかとらえて離さないものがある。

 さて、ここで、またまたおもわぬ落とし穴。ハンガーノック。平たく言うとエネルギー切れ。三郷の休憩では固定物を何も食べなかった。お腹がさほど空いていなかった(と感じた)からなのだが、実はそれではダメだ。一定間隔できちんと補給を摂らなくてはいけないのである。サイクリングは、ただただ走るだけでなく、ツアー全体のマネジメント、身体のコンディショニング、メカの調整、地理や道路、気象の先読みも全部自分でやる。それをしっかりできることが自転車長距離ツアラーの資格だ。そう考えるとサイクリングはきわめて高度で知的なスポーツではないか。(どこかで読んだ本の受け売りか・・笑)

 そんなわけで、私は松本を過ぎてから急速にパワーダウンしていることを見落としていた。松本に入る前に、塩尻峠を越えているときにすでに疲労は感じていた。いや、待て。落ち着いて考えると、甲州から信州への国境付近のコンビニでぶっ倒れていたこともあった。信州の松本、そして安曇野あたりは自らの出身地だったり、出生地だったり、父や母や祖父母の出身地だったりする。このあたり一帯が、私のマザーエリアというべきか。そんな親しみのある地域まで自力で走ってこれた興奮が、脳内にドーパミンを出しまくり、肉体の疲弊を忘れさせていただけなのだろう。実際の肉体はすでにぼろぼろの状態だったはずである。

 そんなわけて、カラダだけでなく、意識も限界を超えたところに、妙な興奮状態が入ったりして、制御不能の状態だったのだと今にして思う。松本あたりが標高600mくらい。そこから大町市に向かって長く緩い登りが続くのだが、元気であればさほどこたえる登りではないはずだ。

 それなのに、堀金村あたりの広域農道で助さんに追走できない。おやと思ったが、松川のあたりでいよいよ脚が動かなくなる。たいした上りではないのに、どうしたことだろう。 何回かバイクを降りて屈伸をしてみる。ジャージ背中のポケットに入れたカロリーメイトのゼリーを取り出してのどに流し込んでみる。
 
 経路沿いのコンビニやスーパーなどで何か食糧を購入したかったのだが、 こんなときに限って、店がない。というよりも街と街の間で、国道沿いには店らしきものが何も見あたらない(2003年の当時はスマートフォンは普及しておらず、走行中に最寄のコンビニを検索するなんていう技はない)。遅れ始めた私を、大町のオリンピック道路への分岐のあたりで助さんが心配そうに待っていてくれる。

 予定休憩地点の大町まで頑張ろうと、必死の思いで高瀬川の橋を越えたところのローソンで休憩。大町旭町。18時10分、275km。

 日が暮れてきたこともあり、結構寒さを感じる。肩にかけたバッグからウインドブレーカーを出して着込む。
 大町市は、空気が明らかに安曇野あたりとは気候が違うと感じる。素肌にサイクルジャージ一枚まとっているだけのため、余計そう感じるのだろうが、明らかに日没で気温が下がっているというだけではないのだ。

 冬季に東京からスキーをかついでJR大糸線を北上してくると、この大町あたりから沿線に根雪が見えてきて、俺はスキーをしにきたんだなと実感できる。つまりここらあたりに日本海側の空気と内陸性の気候の境界線があるというのが私の仮説だ。

 国道沿いのローソンを見つけ、甘さたっぷりの苺のシリアルバーとホット缶コーヒー(ブラック)を買い求め、むさぼるように食べる。相変わらずご飯ものはあまり食べたくない。
ベンチで脚の筋肉を伸ばして回復を図る。

 大町の市街を抜け、仁科三湖への上りに掛かる。北大町のあたりで完全に日が暮れたので前後のLED照明を点灯する。闇の中、助さんとのランデブー走行が続く。

 国道148号は、日本海に抜ける物流の車が多く、19時近いこの時間も結構交通量がある。簗場(やなば)の手前で宿にもう一度遅れる趣旨の連絡。ヤナバスキー場。大学生の頃、いったい何度通ったことか。当時、大町在住の知人にスキー道具を借りたり何かとお世話になったことを思い出す。緩斜面主体のスキー場はスキー初心者の私にはぴったりの練習場(まさにゲレンデ)であった。(残念ながら、ヤナバのゲレンデは閉鎖となったらしい)

 国道148号線を北上、仁科三湖沿いのいくつかのトンネルを越え、佐野坂を越えると下り基調となる。追い風もあって結構なペースで飛ばせる。夜の快適なサイクリングだ。

 街路灯の間隔が長いので、道路の路面は真っ暗と言っていい。当時のロードバイク用LEDの前照灯ではまったく照度が足りず、路面の状況がまったく把握できない状態である。しかし、ここまで来たら勢いで行くしかない。

 冷静に考えると、路面にガラス片など落ちていたり、穴でもあった日にはデリケートなロードバイクの車輪ではひとたまりもないことになるが、限界を超えて走っている私たちたちの意識からは、そんなことはとうに外れてしまっているようだ。

 真っ暗な国道148号をさらに糸魚川に向け北上すると、白馬の街の明かりがやけに明るく感じられる。5月の夜の白馬駅周辺は、冬にスキー・スノボの客が、夏に登山者たちが、それぞれ押し寄せる時期のような賑わいはなく、閑散としている。しかし、私はこういうのんびりした山麓の街の雰囲気が嫌いではない。

 白馬の市街を抜け、岩岳スキー場の横から栂池に抜ける千国街道に入る。国道から行くと上りがきついのでそれを回避したかったのだ。(国道からのきつい登りはつがいけサイクルで経験済み)
 予想通り、道に明かりはまったくなく、いよいよ真っ暗だ。月明かりもなく、大して明るくないLEDランプだけが頼りで、路面の様子がわからない。暗い場所では止まりそうな速度になる。

 落倉のペンション・別荘街を抜け白馬村から小谷村に入る。いよいよ最終の上りだ。体育館の脇のでこぼこした道を抜ける。 今はオフシーズンだし、まして日曜なので、栂池の宿も明りが灯っていないところが多い。道を探りながら進んでいく。

 え、ここが宿?栄光?のゴール。小谷村栂池高原20時10分、308.13km。

 完走がうれしいというより、この重労働?から解放されるうれしさが勝っている。宿の前で思わずフラッシュを焚いて写真を撮る。 よくもまあこんなところまで自走で来たものだ。

今日の宿、プチプアでは、ご飯を温めて待っていてくれた。奥様が他に客もいないのに嫌な顔一つせず温かく迎えてくださる。

 バイクを特別サービスで玄関に入れさせて頂き、風呂で軽く汗を流し、ビールで乾杯。いつもそうだが、こちらのお宿のご飯は料理の数が多くてうれしい。 今日一日、ほとんどコンビニ・メシですごしてきたので、久々に普通の食事を摂れるうれしさ。


 食後、寝床で地酒をちびりちびりやりながら、本日の反省会。朝の3時から延々17時間近くバイクに揺られて?きた疲れが心地よい。

 

走行距離:308km  
実質(ネット)走行時間:13時間